「私が悪い」と本当に納得したときの私の心の反応
今日はカウンセリングと病院でした。
カウンセリングが病院とセットになっているところも多いですが、私は病院とはまた別のカウンセリングルームに通っています。
今日のカウンセリングは、大きな新しい発見がありました。
が、本当に個人的なことなので詳細が書けません。
カウンセリングの先生に、「それはあなたの自己満足で、彼氏のことを考えての行動ではないよね」と言われて、感情においても理性においても納得して、ひどく辛い気持ちになりました。
今まで「全部私が悪い」と考えることはたくさんありました。
しかしそれらは、理性で考えて「こうなってしまったのは私のせいだから…」と順序立てて物事を考えた時に出てくる考えでした。
たとえば、
嫌なことが起こる→「どうしてこんなことが起こったんだろう」→「私が◯◯したからだ」→「元はといえば私が悪い」→「全部私が悪い」
こんな具合です。
感情では「そんなことないはず」と感じていたと思います。
しかし今日は、私にとって影響力の強いカウンセラーさんに「あなたのその行動は(彼氏を大切にするという点で)悪いことだ」と言われることで、確かにそうだ、という理性的な部分と、感情の部分でも納得できたのです。
このカウンセラーさんは本当にすごい人です。
少し話から逸れますが、前、カウンセラーさんに怒られた(私のことを思って、ということは私もすぐに分かりました)ことがありました。
普通、人は怒ると感情的になり、それを口調や身体で表現してしまうものです。
しかし私のカウンセラーさんは、口調を変えることなく、身体で表現することもなく、滲み出るオーラというか、そのようなもので怒りを表現していました。
感情的に怒ってしまう人を目の前にしたとき、人は全身が強張り、怒っている人の言いたいことよりも「怒っている、どうしよう」ということに気持ちが傾いてしまいがちだと思います。根拠はないけれど。
怒っていても感情的にならない場合、その人が何に怒っているのか、どうして怒っているのかを正確に把握することができます。
とても質の良い怒り方だ、と私は感じました。
今までも、カウンセラーさんが言ったこと全てが納得できるわけではありませんでした。私もそこまで流される人間ではありません。
でも、カウンセラーさんと話していると私の常識はどんどん崩されていきます。
誰しも、持っている常識は歪んでいると思います。
何が正しい常識なのかといえばそれはわかりません。
常識なんて存在しないんだろうと思います。常識は人が生きてきた環境の中で適応するために身につけた考えや行動であると思いますから、人によって違うのが当たり前で、常識の多様性がもっと受け入れられるといいのかな、などと考えます。
私の考えはいつも憶測で始まり、憶測で終わるのであまり良い考えではないような気がしています。
もう少ししっかりと本を読んで知識をつけて、それに加えて自分で考えることが必要です。
私自身は頭でっかちになるよりも、自分で考えることの方がずっと大切だと思っています。
自分で考えてばっかりでも頭でっかちになるか。
話が逸れまくっていますが、そういうわけで、今日は「私が悪い」と心の底から理解して、一日心臓の痛みに悩まされています。
自分を心の中の言葉で傷つけまくっていると、それに身体が反応して身体が痛くなることはあると、カウンセラーさんは言っていました。
私も辛い時、心臓から左腕にかけてがとても痛くなってどうしようもないことがあります。
この痛みを理解する人は多いのではないでしょうか。
彼氏にもしばらく会えないと伝えて、母にもしばらく電話に出ないつもりだからFacebookで連絡してくれと伝えて、私は明日から安心して自分を責め続けることができます。
数日一人になって、彼氏に対して私が取ってきた悪い行動を挙げていって、ひとつずつ反省したいです。
試験前だけど、そんなこと気にしてる場合じゃないと思います。
将来のことも考えたいけど、考えると涙が出てきて死んでしまいたくなるのでできません。
そういえば今家には七輪が2つと、練炭が2kgと、火起こし器があります。
あとはガムテープを買わなければなりません。
いつでも死ねると思うと、とても安心して生活が出来ます。
でも練炭自殺って暑いのかなぁ。
今日牛角に行って七輪を目の前にしてそこで肉を焼いていましたが、暑くて仕方がありませんでした。
うまい具合にセロクエルで寝てしまわないといけないですね。
なかなか難しいものです。
だらだらと駄文を書いてしまった。
しばらくはこの日記も書けないです。
ここまで読んでくださった方がもし、もし1人でもいたら私の心臓はひっくり返って死んじゃうかもしれないですね。
おやすみなさい。